無題
“思想家がいなくなってデザイナーが現れた。”




新しい学校へ来て初めての学祭が21〜23にある。

『男祭り』というM1の団体に混ぜてもらってボクも参加する。

みんなのやる気ハンパない。尊敬に値する。

2店舗出すんだけど、ボクの役割は1店舗のファサードの詳細。寸法とか。

あまり話した事のない人とかとの絡みが多くて多少戸惑ったりしたけど、

面白い人ばかりで楽しくやれている。

いい思い出になるかも。





何か最近駄目だ…。
# by love-letter0225 | 2009-11-17 04:32 | 実りある日々 | Trackback | Comments(0)
友人01


学部時代の無二の友人、かたやんが京都に舞い降りる。

彼は広島で谷尻誠事務所 サポーズデザインオフィスに通っている。

今回は物件の写真撮影で福井県に行っていた帰りに立ち寄ってくれた。

会わなくなって半年経っていたが、度々連絡しあってるせいか、そこまで久しぶりさはなかった。半年は異様に早いのだと実感する。

少しつもる話をしたり、軽く夢を語り合ったりしたのだが、彼はまだ学生のボクに会って遊びたい欲がさらに出てきてしまったようだ。

遊びたい、遊びたいと連呼していたが、そんな彼をボクは尊敬している。偉そうにいうと人間的に認めている。好きなタイプだ。表には出さないが。

今のボクの指針の一つである。同じ建築をやるものとして。

だから、やっともらえるようになったことには素直に嬉しかった。

彼にはこのまま走り続けて欲しい。

ちなみに彼はこのblogを読んでおり、本文章は意図して書いていることだけここに記す。
# by love-letter0225 | 2009-10-23 18:16 | Friends | Trackback | Comments(4)
2009.10.10-11
10月10日にアーキニアリングデザイン展2009〜テクノロジーと建築デザインの融合進化〜と題された展覧会のイベントの一環として、『建築新人戦2009』と『記念シンポジウム「空間の力」内藤廣×斉藤公男』が京都工芸繊維大学にて行われた。

前者の方は、3回生までの学生が自身の大学で取り組んだ課題作品を対象に競い合うもので、簡単に言えば全国大会。コンテストの意図としては卒業設計へむけたステップとのこと。参加者は全国から約170程の応募があったらしく、今回はその中から16人がファイナリストとして最終プレゼンを行った。
と説明はここまでにして、実は少しダラダラしていたせいでプレゼンは見れず講評しか見れなかった。なので、詳しく言及はできない。安易な感想は避けたいと思う。でも、正直なところ3回生以下にしては、自分と比べると遥かに完成度が高いのがいくつもあったのは確かだった。感化はされた。

後者のシンポジウム。主旨は、技術が目指すもの、建築の未来、アート+エンジニアリングの融合、技術がもたらす空間の質とは果たしていいものなのか。

箇条書きではあるが、二人のレクチャーで気になった部分を。

内藤氏
構造→不自由、難しい.
日本の軸組みは素晴らしい.しかし、そこから完成に近づくにつれて醜くなる。構造とデザインの差.
直感で感じる事の中に合理性があるはず.しかし、それを解明するのは困難.
大学教育→ステレオタイプになっている.
建築は総合価値。構造もその中心になれるのでは.
構造表現主義→ファッション.
モノを人が使えるものに置換→技術.

斉藤氏
イメージとテクノロジーの交差点.
テンションをコントロールする.
tensegrity.
自然の中の構造は素晴らしい.
建築が文化的価値を持つということ.

さらに対談にて

・カタチの先にあるもの
イメージ先行→テクノロジーフォローのパターン.
カタチはエンジニアがいなくとも、コンピュータと技術で成る.
今は困難な時代.100年後の先から見ると産業革命のような時代.
教育者が型をはめてしまっているのでは.
カタチの手前で生命、命についてもっと深く考える.生きているとはどういうことなのか。

・デザインの拠り所となるもの
自分の領域をどこまで設定するか→自由度の差.
想像力→実力(?).
メディアをどこまで信じるか→自分で考えることが必要.
アルゴリズムetc→ある規模まで到達すると不安定なものになる.
フラクタルな関係の中でどれだけ情報交換ができるか.

・身体感覚
デザインの必然性.
建築はシングルスではない、団体戦である.様々な人々の身体感覚が混ざり合う.
集合的無意識→ここを理解するために自分がいればいい.

・最後に
目指すべきものに対する想像力.
今は技術革新の時代であり社会変動の大きな時代.
既成概念にとらわれない.
「建築ほど面白い分野はない」


今の建築界の潮流の中で、内藤氏の立ち位置は例えるなら“どっしり”とした印象を受ける。それは、これから先のどういった価値になっていくのか。
さらにこれは自身の未熟な理解であった。内藤氏は構造表現主義的なスタンスであると思っていたのだが、甚だ違ったようだ。全面に安易に表出させるというものではなくて、構造に価値を見出すということの違いを理解した。構造と聞くと、ぐっと目を閉じてしまうが、やはり食べず嫌いなのだろう。内藤氏の話を聞くとそうでもなさそうに聞こえる。未熟であるがゆえに、様々な事に対して素通りしてしまうのは悪い癖になっていると感じた。
ボクは表面的に理解しているフリをしているのが多い。これから気をつけて直していかなければ。
氏達の学生に向けられるコメントには、勇気づけられる。特に最後の言葉。様々な議論の上でのそれは、言葉に力があって、あっそういうことかと頷いてしまった。案外単純なのかもしれない。



11日京都大学高松伸研究室展覧会「the horizon」に行く。というのも我が偉大なる先輩建築結社YSSKのモリユキさんに建築系ラジオと公開収録やるから来たらと誘いを頂いたからだ。いつも軽く悪態ついてますが、色々情報をくれるモリユキさんには実は感謝しています。建築系ラジオは、たまに聞くくらいでヘビーリスナーではないが、せっかく京都で行われるのだから行こうということで、って・・・がっつり遅刻。収録が始まって1時間30分くらい経っていた。なので最初は内容についていけず。時間にルーズなのはまだ治らない。いつか大事になりそうだ。

展覧会での作品は、the京大生という感じで、今年のdiplomaで見ていたのだが、どうやら3回生の頃からあのスタンスはある程度確立しているように思われる。ラジオの収録の途中で山田さんが、京大生の作風を「おもい、くらい、でかい」と言っていたのを聞いてまさにそのとおりだと思った。ボクにはできないが、個人的には嫌いではない。あの圧倒される感じはいい。展覧会としては、成功するだろうと感じた。

ラジオ収録はやはり最初から聞いていないせいで、部分しか捉えることしかできない。またの配信でしっかり聞こう。

ここでYSSKのお二人を


今後の活躍を期待するばかりです。
# by love-letter0225 | 2009-10-13 02:17 | Architect | Trackback | Comments(0)
Lecture
今日、京都工芸繊維大学にて古谷誠章氏のレクチャーが行われた。
テーマは「市民社会と建築家」、であったが冒頭に「ミライをつくる」に変わった。

初っ端に、古谷さんの口から『我々は幸福な社会をつくるために建築をしているわけだけれども・・』という言葉で始まる。最近“自分はどうして建築やっているの病”にかかってしまっているボクは、ここを素通りできそうにない。確かに、建築家の職務と言えば聞こえはいいが、その根底が聞きたかった。表面的なことで言っているのは理解できるが、その幸福な社会をつくりたいというモチベーションは何からくるのだろう。ただ、今日のここではそういう議題ではないので、やはり素通りしてしまう。

古谷さんの話は、終始一貫して
・建築をどうやってつくるのかではなく、どう使われるかを考えることが重要
を唱えている。その上で
・人々(市民)が使い方を発見できるようなもの→意図されない使われ方
・ごちゃまぜにしたいという願望が昔からある
・知らない間に場ができている
という事を自身の過去のコンペ案を通じてレクチャーして頂いたのだが、確かにその通りで、ごちゃまぜ(機能もそこを利用するであろう人々が)という表現は的を得ていたし、長期スパンを考えているため、その機能だけで建築が完結しない。そのため、建築に伸びしろができて思ってもないような使われ方が出てくる。そして、その延長で知らない間に場ができている。
話の内容は非常に面白いし、納得もできた。が、形態のインパクトが弱いというのが気になった。古谷さんはソフトをデザインしている建築家という印象が残る。その証拠に、プロジェクトのプロセスの中で多くのワークショップをこなしている。地域住民を巻き込んで建築を立ち上げていく氏の姿勢は、まさしく建築家の姿であると思ったし、必要だと感じた。


問題は、今日吸収したことをボクがどうアウトプットするかということ。
# by love-letter0225 | 2009-10-05 21:10 | Architect | Trackback | Comments(0)
コンペと+α
9月はコンペを3つ出した。個人的にハイペース。

毎回体臭が少し増すくらいボロボロになりながらも、提出し終えた後の爽快感は癖になる。

出し終えたあとの飯が美味い。睡眠が待ち遠しい。

コンペの後は上記のような三大欲の二つが非常に活発になることに気がつく。

じゃあコンペは麻薬ではないか。

てかいつもギリギリに出す状況に陥っている自分が悪い。

マゾヒストなのか、ボクは。



では本題。

ついこの前、彼女の誕生日だった。京都市動物園と南禅寺に行く。

動物園での話。

ライオンかっけー!てな具合に動き回っているライオン見てた。

とまぁ、




てな具合に・・・・・。



どこにマーキングしてんだ!



そりゃあ、笑われますよ。こんなボクを笑って下さい。踏んで下さい。んっマゾヒスト?


でも、少し自分を見直したのが、この場を軽く笑って流したことかな。今までだったら叫んで周りの注目を集めたに違いない。不思議と人は変わるもので、京都に来てから落ち着いたのかなと感じている。最近自身を客観的に見ていることが多い。





南禅寺。



授業でも幾度と出てきて一度は訪れないといけないと思っていた場所。

ここでの目的は当然のごとくここ。




『水路閣』。

それは想像以上の迫力を持ってボクの前に現れたわけではなかった。

風景として寺の境内の敷地内に平然とあるたたずまいに違和感はなく、そこに存在している当然の要素の一つに思えた。しかし、近づくと明治23年から橋の上部を流れ続けている水が染み出て風化して、ある種の異様さを兼ね備えているそれは、少しの威圧感をも持ち合わせていたことに気付く。

その不思議な魅力に引き込まれた。

紅葉の季節にまた来たい。






祝いらしいことは、してあげれなかったし、百獣の王の小便のかかった彼氏ではあるが、心から彼女の誕生日を祝いたいと思う。

おめでとう。
# by love-letter0225 | 2009-10-01 01:54 | 実りある日々 | Trackback | Comments(0)


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